【陸上】私の長距離トレーニングメニューと部活(中学編)
全中とインターハイに続き、出雲駅伝も中止になり残念な気持ちと仕方がないという気持ちが交錯しております。
自分も昔陸上の長距離をやっており、全中やインターハイを目指しておりました。
目標となる大会がなくたった喪失感というのはハンパないと思います。
自分だったらなかなか切り替えできないなと思うこの頃。
さて、小学生から大学卒業まで陸上をやっておりましたので参考までに当時の練習メニューや部活の雰囲気を紹介します!
今回は中学編です。
【中学時代のベストタイム】
800m 2'04"
1500m 4'15"
3000m 9'00"(9分切りたかった・・・)
レースは全てスパイクを履いて出場していました。
(高校、大学ではほぼマラソンシューズで出場しています)
今の時代だとそこまで速くはないかもしれませんが、当時だと県内ではまずまずの持ちタイムでした。
【トレーニングメニュー】
主には、
月 ペース走
水 jog
木 インターバルトレーニング(強度強め)
金 jog
土 ロード走などの距離重視メニュー
日 休養日(または自主練)
という流れでした(試合前は変わります)。
多かったメニューが
ペース走 5000mペース走(3'30ペース)
インターバル走 250m×10本(45"/本)
強度高めの日はインターバル走が500mだったり1000時だったりします。
(1000mのインターバル走はキツすぎてマジで嫌いだった)
朝練は日曜日以外は毎日40分jog。
これは冬場以外は変わりないメニューです。
(冬場の朝練は補強メニューとなります)
冬場はスピード練習よりも距離を踏むことの比重が高まりますが、顧問の先生の方針で体ができていない中学のうちは距離はあまり踏まずに、スピードを養うことや体づくりがメインでした。
当時は、
「これじゃ物足りないなぁ」
と思っていました(こっそり家に帰って30〜40分jogをしていました)。
ただ、これは今考えると非常に良かったと思っており、感謝もしています。
「中学がピークでなく、高校でも伸びるように」
と先を見据えた指導方針でした。
【部活の雰囲気】
短距離、長距離ともにいわゆる強豪ではなく一般的な学校でした。
学校も創立10数年と比較的新しい学校です。
朝練は自主参加。
毎日参加する人、時々参加する人とまちまちでした。
自分も中1のときは出たり出なかったりでした。
そのせいかはわかりませんが、成績も鳴かず飛ばずのような感じです。
練習が終わって部室で着替えるのですが、最後に出た人が部室の鍵を職員室に持っていくという謎ルールも存在。
みんな部室があるのにみんなほぼ裸の状態で部室から出て外で着替えていましたwww
「部室の意味ないやんけ・・・」
とまあ、和気あいあいの雰囲気でした。
【運良く良い先輩、同期、指導者に巡り逢えた】
和気あいあいとやっていましたが、正直いろいろな人に巡り逢えたので中2から記録が伸びて行ったのだと思います。
まずはめちゃめちゃ速く全中にも出場した先輩がいました(この先輩とは小、中、高まで同じ学校となります)。
この先輩が練習終わってからも自主的に補強トレーニングをしたり、jogをしたりしていたのでそれを真似て少しずつ自分も同じことをやるようになりました。
次が指導者です。
先述の通りメインで指導してくれていた先生は高校で伸びるようにとメニューは腹八分目のメニューで、体のできていない中学生には無理をさせない方針でした。
そして転機が訪れたのが中2のときです。
800mの日本ランカーである方が新卒で先生として自分の中学校へやってきました!
この先生には今でいうプレイングマネージャー的な役割をしてもらい、ペースメーカーだったりスピード練習のときには引っ張ってもらっていました。
そのため距離は踏まないながらも質の高い練習を行うことができるようになりました。
最後に同期(同級生)の存在です。
本当にたまたま同じ学年に種目は違いますが短距離と投擲に全国出場レベルの選手がおり、3人で意識し合いながら練習することができていました。
3人が意識し刺激し合うことで練習の意識も変化していきました。
その結果、その2人は全中出場、私は標準記録を3秒越えられず全中出れず!
くそーーー!
めちゃくちゃ悔しかったことを覚えています。
とまあ中学時代は締めるところは締めて、メリハリをつけて取り組んでいたのが良かったと思います。
中学時代はとにかく体づくりや動きづくりに比重を置いたほうが個人的には高校に上がったときに伸びると思います。
とまあここまでが中学編となります。
高校編へ続く?!